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菖蒲の生い立ち

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内容
上杉謙信以前上杉謙信以前の領主・経歴等不明
弘治年間(1555~1558)この頃より謙信公が春日山に居城し、この地域一円及び越中等を領した。
上杉謙信の死後(1578)家督争いにより紛争の末、上杉景勝が額したが豊臣秀吉により奥州会津に移封され、代りに慶長3年(1598)堀左衛門督秀治が領した。
慶長10年(1605)徳川家康の6男松平忠輝が越後福島(14年より高田と改称)を経て、元和2年(1616)の改易まで領した。この改易後高田に入封した酒井家次の高田藩領外、幕府領・牧野氏の長峰藩領が混在した、当地方は長峰藩領が多かったが、牧野氏の長岡移封により長峰藩が廃され、再び高田藩領となった。
寛永元年(1624)松平光長(越後守・越後中将ともいう)が継続58年間領したが、天和元年(1681)家督相続の争いによる越後騒動のため、遺領すべてが幕府に収公され、以後4年5か月間幕府の勤番支配となり、この間天和2年幕命で遺領全域の検地が実施された。(天和の検地)
天和元年(1838)当地域は幕府の直轄地(御料所・天領ともいう)となり、代官所支配や近隣藩への預け地等で幕末まで支配された。
明治元年(1868) 柏崎県に所属する。
明治5年(1872)大区り、小区制が施行され、東頚城は第6大区となった。
明治6年(1873)新潟県に編入された。
明治9年(1876)相川県が新潟県に編入し、区画も大改正され東頚城は第11大区に組み替えられた。
明治11年(1878)郡区町村編制法により、東頚城郡・中頚城郡・西頸城郡の3郡に分かれ、以後町村合併などを繰り返しながら現在に至っている。
明治22年(1889)現在の大字単位であった旧村々が合併し、元保倉村・仁上村・大島村・保倉村・旭村・嶺村の6村が誕生した。その後、元保倉村・仁上村・大島村が合併して大島村になり、旭村・嶺村が合併して旭村となった。
昭和30年(1955)3月30日大島村・保倉村・旭村が合併して大島村となった。
平成17年(2005)1月1日上越市への吸収合併により、大島区となった。

 

 

 

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